ファンシャインでは、運動会も終わり、そろそろHalloweenに向けて準備が始まります。町中も段々そんな雰囲気を感じられます。Halloweenはすっかり日本に溶け込んだ行事になりましたね。グローバル化が至る所で進んでいます。

そのうちの一つに2020年度の大学入試改革が、教育現場にインパクトを与えています。多様性を視野に置いた「論理的思考力」や「記述力」が重視されるようになる、というのが改革の方向性。その流れを受けて、義務教育課程における子どもたちの指導要領も、ひとつの正解を答えさせるのではなく、思考力や表現力を問う方向に変わりつつあります。

貴重な幼少時代に子どもたちが豊かな感性を育みながら、考える力や表現する力を伸ばしていくことが必要とされています。

自身がアメリカで受けてきた教育と、自分の息子を通してみる日本の小学校教育。私自身が実感している日本と海外の教育の違いやグローバルな時代に求められる力、そのために親ができることを纏めてみました。

「しゃべる力」を重視していない日本の教育

日本の学力ランキングはトップクラスです。人口4千万人以上の国で、こんなに高い学力を保っているのは日本だけ。これは大変すばらしいことです。

なぜ日本の学力が高いかというと、どの分野においても、平均的な基礎知識があります。世界地図で日本が見つけられない日本人はいません。さらに学校ではマナーや道徳も教えてくれる。日本人としてのの倫理観、モラル、勤勉さ、真面目さなどは学校の影響が大きいと考えています。

しかしながら、平均的にできる人間を育てているので、抜きん出る人がいません。例えば私の子どもはいま小学2年生なのですが、小学校でも週2回学校内で「国際」という授業で英語を勉強しています。

ファンシャインを卒園しているので、ネイティブほどではありませんが、それなりにできています。

ですが、彼の小学校ではみんなと同じ内容の英語の授業を受けなければならない。たとえば授業をレベル別にしたら、もっとそれぞれの学習意欲も上がるのでは、と思います。海外の学校には公立でも飛び級もあるし、同じクラスの中でも進度の早い人は先の内容をやります。

クラス内でも、基本的には学校では「私語禁止」が徹底されていますね。「必要なものをカバンから取り出してください」と先生が言うと、子ども同士で自然と会話が生じる。すると「喋らないでください。」と先生が注意するわけです。きちんと目的を果たすことができればしゃべってもいいかな、と個人的には思います。そこで、クラスで話し合える何かきっかけがあるかもしれません。しかしながら、日本の教育現場では難しいことかもしれません。

しゃべる場面を規制されているから、しゃべる技術が身につかないんではないか、と思います。議論が生まれない。討論ができない。問題提起ができない。指摘されても反論ができない。それ以前にまず「質問すること」が苦手な人が多いですね。

アメリカの授業では、「議論」できてナンボという世界です。教科の成績において、テストの成績は全体の30%しか換算されず、残りはどれだけ授業に参加したか、という部分が重要視されます。

日本人は質問もあまり上手ではないな、と感じます。

スポーツ試合のインタビューで、アナウンサーが「今回はこのような結果になってしまいました」とマイクを選手に向けますが・・これ、質問ですか???いつも不思議に思います。

聞きたいことをはっきり聞く力、そして質問に対してきちんと答えられる力も身につけないと、世界では伝わらないと思います。

ファンシャインの子ども達は質問することが大好きです。いつも、どこでも「なんで?」「どうして?」「これはどうしてこうなるの?」「どうしてそう思ったの?」の連続です。そして、質問される事も大好きです。Show and Tellで自分の発表をして、その後にお友達同士で質問をします。悲しい事も、嬉しい事も、きちんと言葉で伝えます。

JB Pressで興味深い記事を見つけました。オランダの教育についての記事ですが、将来の夢を子どもに「なぜ?」で考えさせるトピックでしたので、ぜひ参考までにご覧になってください。

教育の入り口が決定的に間違っている日本

大金を使っても大抵は水の泡、泣く子を作るだけ・・・

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51325